藤村記念館(ふじむらきねんかん)
国指定重要文化財 旧睦沢学校校舎
所在地/甲府市北口二丁目2-1
開館時間/午前9時から午後5時まで
休館日/月曜日(月曜日が休日の場合は火曜日)、年末年始
入館料/無料
甲府市藤村記念館は、明治8年(1875)に現在の甲斐市亀沢(旧睦沢村)に睦沢学校として建てられた学校の校舎です。
昭和32年(1957)まで学校の校舎、昭和36年まで睦沢公民館として利用され、老朽化により取り壊し寸前のところ、藤村様式旧睦沢学校校舎保存委員会の手で昭和41年武田氏館跡の武田神社境内に移築復元し、同委員会から「藤村記念館」と命名され甲府市に寄贈されました。
移築の翌年には国の重要文化財の指定を受け、昭和44年から郷土の民俗・歴史・教育・考古資料を展示する資料館として開館し、平成2年(1990)からは教育資料を中心に展示替えを行って、市民・県民に親しまれてきました。
平成20年、甲府駅周辺区画整理の拠点形成事業に伴って、建物の解体に着手し、平成22年7月末に甲府駅北口広場で進められていた移築復元修理工事が完了し、市民や観光客の交流ガイダンス施設として新たに開館しました。
この建物の様式は、山梨県の初代官選知事である藤村紫朗が積極的に奨励したとされる擬洋風建築であり、山梨県内では藤村紫朗にちなみ「藤村式建築」と呼ばれています。
甲府市の中心部では明治初期から中期にかけ、多くの官公舎、学校、商家がこの藤村式様式で建てられました。
●藤村紫朗 弘化2年(1845)~明治41年(1908)
肥後熊本藩士黒瀬家の二男で同藩士萱野家の養子となる。
尊皇攘夷運動に加わり勤皇志士とともに国事に奔走、脱藩して長州に走り、王政復古の運動に参画した。
明治維新に際して藤村姓を称し、大阪府参事を経て、明治6年(1873)山梨県権令から翌7年山梨県令となった。明治19年地方官制により山梨県知事、翌20年の愛媛県知事に転ずるまで14年間の長期にわたり山梨県政を担当した。
藤村県令は、文明開化の諸施策に積極的に取り組み、殖産興業として養蚕技術の普及や県営勧業製糸場建設、甲州街道や青梅街道などの主要な幹線道路に車馬の通行可能な改修工事を実施したほか、甲府市街の整備に着手し「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築を特に推進した功績は大きい。
甲府駅北口まちづくり委員会
藤村記念館を囲んだ花壇には、季節になると、深紅やピンク、黄色や白など色とりどりのバラの花が咲き、辺りに甘い香りを漂わせます。
水やりや消毒など、手入れに手がかかることで知られるバラ。
現在46種類、78株ある藤村記念館のバラの手入れと管理は、NPO法人甲府北口まちづくり委員会が中心となって結成された市民ボランティア団体 「ラ・ロの会」が行っています。
「北口から始まって、将来は甲府全体がバラの街になってほしい!」そんな光景を夢見て、60名以上の有志が日々作業に勤しんでいます。
樹木と水による「つなぎの森」をイメージする憩いの場や、各種イベントによるにぎわい創出の場として整備しています。
総面積4827平方メートル。
樹木には自然の涼しさを演出する涼霧システムを設置しています。(夏季)
甲府駅北口まちづくり委員会
歴史公園は、甲府の失われてしまった歴史的景観を後世に伝えるために、平成19年、甲府市によって整備されました。
中央の山手御門は、甲府城に三箇所ある出入り口のひとつで、山手門(やまのてもん)と山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)から成り立ちます。
現在の山手御門は、発掘調査によって発見された石垣と、かつての城門を描いた絵図をもとに、1700年頃(江戸時代中期)の姿を復元したものです。
山手御門の展示室と展望スペース
開館時間/午前9時から午後5時まで
休館日/月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、
年末年始(12月29日~1月3日)
入館料/無料
※公園は常時開放しています
甲府駅北口まちづくり委員会